こんにちは、WAGYUソムリエの肉太郎です!
今回のテーマは「日本でいう焼肉店の歴史っていつからあるの?」について。
肉太郎
給料日だし……よし焼肉行こ!
ボーナス出たし……よし焼肉行こ!
めでたいから……よし焼肉行こ!
疲れたぁぁ……よし焼肉行こ!
悲しいな……元気出さなきゃ……よし!焼肉行こ!
今日は暑いなぁ…よし焼肉行こ!
今日は寒いなぁ…おーし焼肉行こ!
って色んなシーンで焼肉を食べてる方が沢山いることと存じます。
そんな焼肉をたべながら、ふと俺たち日本人は焼肉をいつから食べ始めたんだろうって誰かが呟きました…。
フム…ここは肉太郎の出番ですね…
肉を焼く=焼肉って意味もあるけど、モチロンここは料理としての焼肉です!w
肉太郎
けっこう前の焼肉の歴史
まずは明治維新後の開国、これで外国の肉食文化が広まります!
1930年代中頃、90年くらい前に韓国(当時は朝鮮)の方により韓国料理のプルコギやカルビ焼き等の濃いタレに漬けた肉を焼く料理が伝承されました。
そして、当時の日本で根付いていたジンギスカンとのあわせ技で「お客様がお肉を焼いて食べる」焼肉のスタイルが誕生したといわれています。
ちょっと前の焼肉の歴史
第二次大戦後、正肉(カルビやロース)は高級な朝鮮料理店が提供し、ホルモン等の臓物は飯屋や飲み屋といわれた大衆店が提供していました。
そんな中ある女性経営者が呟きました…
「正肉臓物どっちもメニューに載せちゃおっと」
さて皆様…
その時歴史が動きました…
お待たせしました、垣根を超えて「正肉も臓物も提供」し始めた、いわゆる「焼肉店」の誕生です!
その名も「明月館」!
おめでとう!そしてありがとうございまーーす!
※これにはいくつかの説があります。
そして今の焼肉へ
明月館はじめ、ヤキニクセンパイ達の苦労や喜びをヒシヒシと感じたところで、その息吹を感じさせる全国の焼肉店はその数20,000店前後といわれています!
我らが熊本県で約250店、県の人口1万人に対して1.4件なんだとか。
多いのやら少ないのやらわかりませんが産業白書に載ってたんでw
美味しい焼肉の開発をするために、和牛交配の研究開発、和牛を種付けする繁殖農家さん、和牛を育てる肥育農家さん、快適に焼肉が食べられる設備の開発…どのジャンルも進化し続けています。
ホント、色んな方が時間と知恵を絞って今の焼肉があると考えると…とっても感慨深い…
焼肉にはロマンが詰まってますねぇ!
肉太郎
まとめ
今回は「日本でいう焼肉店の歴史っていつからあるの?」についてお伝えしました。
いやぁ!旨い焼肉を食べられるのは、沢山の大センパイ達のおかげです!
ほんと、ヤキニクパイセンありがとうございます!
ポイントをギュギュウ~ッと整理!
- 文明開化で肉食文化も開花!
- 韓国料理と日本食文化のコラボが原点だ!
- 全国に約20,000店!熊本には250店!いつか制覇したいな!
以上、WAGYUソムリエの肉太郎でした!
牛肉食や黒毛和牛の歴史って?ある一頭の但馬牛が絶滅の危機を救った物語も!
全然違います。焼肉の前身はジンギスカンです。焼肉屋は、もともとは羊肉です。ジンギスカンと焼肉のレシピは全く同じです。戦後になって牛肉の焼肉を食べるようになった。
日本では明治時代から北海道で肉用を含めた綿羊の飼育が行われており、1918年(大正7年)に軍隊、警察、鉄道員用制服の素材となる羊毛自給を目指す「緬羊百万頭計画」が立案され、滝川や札幌の月寒など全国5カ所に種羊場が開設された。このため北海道は1924年(大正14年)の時点で全国の42.7%が飼育される最大の飼育地となっていた。計画の早期実現のために羊毛のみならず羊肉をも消費させることで、農家の収入増加と、飼育頭数増加が企図され、その流れの中からジンギスカンが出現したものと考えられている。しかし、当時の日本人には羊肉を食べる習慣がほとんどなく、日本で受け入れられる羊肉料理を開発する必要に迫られ、農商務省は東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)に料理研究を委託している。
それらを裏付けるものとして、北海道の空知郡北村(現・岩見沢市北村)で1920年(大正9年)に北海道初の羊食会が北村飼羊組合員の間で実施されていた事、その後1924年(大正13年)に北村緬羊組合によって『羊肉料理法』のパンフレットが発行されていた事、その中に記載された「羊肉の網焼」のレシピが後の1928年(昭和2年)に糧友會の『羊肉料理講習会』で紹介される「鍋羊肉(成吉思汗鍋)」のレシピと類似していた事などが記録されている。
「成吉斯汗鍋」(じんぎすかんなべ)という言葉が初めて掲載されたのは1926年(大正15年)の『素人に出来る支那料理』で、支那(中国)在住の日本人が命名したもので「本当の名前は羊烤肉と云う回々料理」とあり、当時のものは屋外で箱火鉢や鍋に薪の火をおこし、上に金網や鉄の棒を渡して羊肉をあぶり、現地の醤油をつけて食べた「原始的な料理」としている。この説明通りであれば、当初、「鍋」は食品を加熱するためではなく、火鉢代わりに使われたことになる。1931年に満田百二が雑誌『糧友』に書いた「羊肉料理」という記事でも、羊肉網焼の別名の「成吉斯汗鍋」は、本名式には烤羊肉というと書かれていて、鍋料理ではなかったことがわかる。
かつて宮内庁下総御料牧場があり、皇室などに羊肉を出荷していた千葉県成田市三里塚が発祥地とする説もある。他にも、山形県蔵王温泉や岩手県遠野市等がそれぞれ、上記の東京や北海道のものとは発祥を異にする、独自のものとしてのジンギスカン鍋の起源を主張している。長野県長野市信州新町での普及は、綿羊の飼育が1930年(昭和5年)に始まった後の1936年(昭和11年)に開催された「料理講習会」から始まる。羊の臭みを減らして食べやすくするために、地元名産の信州リンゴを使用した特別なタレに羊肉を漬け込む。
ジンギスカン鍋が一般にまで普及したのは、第二次世界大戦後のことと言われている[8][1]。最初のジンギスカン専門店は、1936年(昭和11年)に東京都杉並区に開かれた「成吉思(じんぎす)荘」とされる。北海道での営業としての最初の店は、1946年に札幌にできた精養軒である