こんにちは、WAGYUソムリエの肉太郎です!
今回のテーマは「牛肉食や黒毛和牛の歴史って?ある一頭の但馬牛が絶滅の危機を救った物語も!」について。
まず獣肉食の歴史ってなると旧石器時代にさかのぼるので、ここでは当然端折りますw
西暦に入ると時代背景により獣肉食を禁止されていたり、滋養強壮の薬という名目で肉を食してたようですね。
では私たち日本人が、おおやけに「牛肉食」がOKよ!ってなった時期や「黒毛和牛の歴史」についてお伝えしたいと思いまーす!
うっしっうっしっうっしっしっw
それでは早速いってみましょうー!
と、そのまえに…
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【前回のおさらい】
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牛肉のランク付け、いわゆる等級の話から
高い評価をもらう傾向があるのは霜降り部位の多い「黒毛和牛」という流れから、この牛はいつからいるの?日本人っていつから肉食?
とゆー議題が勃発w!
それでは黒毛和牛の歴史について語るぜよw!
牛肉食の文明開化!日本人はいつから牛肉食べてるの?
きっかけは産業革命!
もともと、田畑を耕すために牛の力に頼ってた日本人は牛を食べることは少なかったようです。
(こっそり食べてたかもしれんけどw?)
寿命で亡くなったり、飢餓で仕方なく…といった理由で食することはあったみたいですが。
18世紀後半にイギリスで起きた「産業革命」により牛車より車、農耕用の牛馬よりトラクターとなり、いわゆる「役用牛」が終了しました。
一般庶民に牛肉食が浸透してきたのは間違いなくこの頃からですね。
そして時代は明治に移り、牛肉食が文明開化の象徴とされ、明治5年(1872年)には明治天皇も牛肉を食べてたそうです。
これを「牛肉文明開化元年」と肉太郎が勝手に命名w
【イヤ!ナニ(1872)食おうぞ牛肉を!】で覚えましょう!
生活や農業の手伝い(役用牛)から食べて美味しい(食用牛)へ。
黒毛和種のはじまり
牛肉の美味しさにすっかり魅了された日本人は、さっそく牛の畜産に力を注ぎ始めます。
明治33年(1900年)農商務省が日本在来種の「但馬牛(たじまうし)」と輸入した「外国の牛」を交配させ、より食肉に向いた品種改良を開始します。
【イク(ゾ)オオ(1900)黒毛の品種改良!】で覚えましょうw
その後も改良を重ね昭和19年、待ちに待った「黒毛和種」という名称で認定されました。
これが黒毛和牛の始まりです!ワーイワーイ!
じつに44年もの歳月を経て誕生したんですね!
【黒毛和牛を食べに!イク(19)ヨヨ!(44)】で覚えましょう!
肉太郎
危うく黒毛和種が絶滅してたかもしれない話
現在、黒毛和種の99.9%が兵庫県香美町の小代(おじろ)地区で飼育されていた一頭の「但馬牛」。
その種雄牛である「田尻号」を共通の祖先にしていると全国和牛登録協会より発表されています。
実はここで壮大なヤラカシが起きていたのですw!
当時、品種改良に慣れてない日本は失敗の連続だったそうです。
気がつけば交配種ばかりで、もととなる純血統の但馬牛が居なくなったみたいw!
オォ!ナンテコッタイ!
慌てて探しに探してやっと唯一の但馬牛を発見!
それが先述の「田尻号」だったそうです!
現在の黒毛和種の99.9%が「田尻号」の子孫である事の真相ですw
小代地区という場所が山奥だったために、難をまぬがれたみたいですね!!
田尻号が昭和14年生まれなので、それから5年後に「黒毛和種」として認定されたのですね…
肉太郎
そして黒毛和牛って雄と雌がいるけど、どちらが食用とかあるの?
といった謎も…
深堀りしちゃうと長くなるので今回はココまでで終了~!
まとめ
今回は「牛肉食や黒毛和牛の歴史って?ある一頭の但馬牛が絶滅の危機を救った物語も!」についてお伝えしてきました。
ポイントをギュギュウ~ッと整理!
- 産業革命をきっかけに馬車から車へ!役用牛の役目を終えて牛肉食の文化は始まった!
- 牛肉に一目惚れした日本人は品種改良を重ね、遂に44年もの歳月をかけて「黒毛和種」が誕生!
- 黒毛和種の始まりの種は兵庫県の「但馬牛(たじまうし)」と、絶滅の危機を救った「田尻号」!
そして黒毛和種に限らず、品種改良を重ねた牛って雄雌いるよね?
気にしたことなかったけど、どっちも食用になってるの?
といった疑問も!
次回のテーマは「黒毛和牛の雄雌の性別で肉質の違いとかはあるの?」をお伝えするのでお楽しみに!
以上、WAGYUソムリエの肉太郎でした!